アメリカの黒人文化と人種差別に対する抗議は切っても切れません。発言力を持たされていない黒人たちが、思いを芸術に昇華し、それがまた彼らを勇気づけてきました。このコラムでは特にメッセージ性が強いそんな曲を歌詞の和訳とともに紹介します。
南の木々は 奇妙な果実をつける
葉には血 根にも血
黒い死体が 南風に揺れている
奇妙な果実が ポプラの木に吊るされている
勇敢な南部の のどかな田園風景
飛び出た目玉に 歪んだ口
甘くみずみずしい クチナシの香り
そして急に鼻をつく 肉が焼けただれる臭い
この果実は カラスがつつき
雨水が溜まり 風が吹きつけ
太陽が腐らせ 木々が落とす
これは奇妙で苦い作物
リンチ ― それはアメリカでかつての奴隷たちが、正義をかざすリンチ集団に殴り蹴られ、縄で首を絞められて木に吊るし上げられ、ときには火がつけられた公開処刑。南部でリンチのターゲットだった黒人たちは恐怖におののき、少しの反抗心も許さないという白人たちの明確な警告を見せつけられてきました。これは1863年の奴隷解放宣言以前はもちろん、その後も変わることはありませんでした。

Strange Fruitが書かれたのは1937年。高校教諭だったユダヤ人のエイブル・メイロプールが、木から吊られた若い黒人2人とその下に満足そうに群がる白人たちの写真を見て書いた詩でした。
その後メロディがつけられ、当時23歳だったビリー・ホリデイが初めてこの曲を歌ったのが1939年。ビリーはこの曲が他の曲に埋もれないよう、鮮烈なイメージを観客に受け取って帰ってもらうため、その夜の曲目の一番最後に配しました。飲食の提供は中止してもらい、照明はステージ上の彼女のスポットライト以外すべてを落として歌いました。歌い終わった後ステージの明かりが消えてまたつくと彼女は既におらず、しんとした観客から最初の拍手が上がると、堰を切ったように割れんばかりの拍手が送られたそうです。
アンコールは無し。その後も彼女がこの曲を歌うときは必ず同じ条件、同じ演出の下で演奏されましたが、決まって観客は静まり返り、気分を害した一部の白人が席を立って店を出ていくこともあったそうです。
ビリーは、黒人という理由で病院での治療を断られ、父親を亡くしていました。この曲は1999年にはタイムズ誌の「世紀の歌」の称号を受けましたが、ビリー本人は、彼女を目の敵にしていた白人至上主義者の麻薬取締官に病院での治療を阻止され、1954年に44歳の若さでこの世を去っています。
この曲やその背景が物語っているように、アメリカの黒人にとっては縄で首を吊るということはリンチとほぼ同義と考えていいと思います。ブラック・ライブズ・マターに呼応するかのように、ここ数週間で黒人が木から吊られて死んでいるのが何件も報告されていますが、ほとんど捜査もされないまま「自殺」と推定されています。また、つい先日は黒人レースドライバー、ババ・ウォレスの車庫に首つり縄が下がっていた事件もありました。
これが白人至上主義者からのメッセージ以外の何物でもないことは火を見るよりも明らかです。アメリカで黒人が「物」から「人」となって150年経った今なお、同じようなメッセージが発され続けているという現実は、いまだに黒人たちを奴隷、もしくは下級市民として見ている白人たちがいる、そして黒人は出過ぎた真似をするなと思う白人たちがいるという紛れもない証拠でしょう。
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